小さな力が大きな力に
2009年 08月 15日
今週は、胸を打たれる事がたくさんあって、感動したり、癒されたり、考えさせられたり、大笑いしたり。
いっぱいここに残したいことがあっても、夏休み&いつもと変わらない仕事量。
おまけに旦那さんまで夏休みと来た。調子狂います(;一_一)
今年は、里帰りも、わたしの夏休みも先送りにしちゃったので、家の中がごった返してます。
5×10で涙、雑誌を読んでは涙、すごろく、嵐ちゃん見ては泣き笑い。
遅れてはいますが、なんとか追っかけられてはいるのでしょうか!?
そして、これだけはどうしても残しておきたいので。
楽しい話ではありませんが、明日は終戦記念日。今夜は少し考えてみたいです。
翔ちゃんに涙。
8月9日、長崎に行ってくれて、本当に本当にありがとう。
11時02分、我が家も家族全員、長崎の映像をテレビで見ながら黙祷しました。
長崎出身の私は小学生の時、8月9日が大嫌いでした。
小中学校は、その日は登校日。
全国みんなそうだと思ってました。
大人になっていろんな都道府県の人と知り合ってから知ったのですが、広島(8月6日)長崎(8月9日)近郊の県だけで、全国的な登校日ではなかったらしいですね。
その日は、必ず、被爆記録や原爆関連の映画を見せられ、時には被爆者の方のお話しを聞く日と決まってました。
小学生の頃は、とにかくそれが怖くて怖くて。
祖父の家に遊びに行くのと重なると、登校日、学校を休ませてもらえるので、今年は怖い映画観なくて済む、なんてホッとしてても、8月9日は祖父も祖母も叔父も叔母も両親も、みんな言葉少なく、昨日とは全然違う悲しい顔で過ごしてるし、低学年の頃は8月9日が大嫌いでした。
小学5年の時、初めて原爆資料館へ行きました。
その当時は、まだ改築されてない建物で、暗いイメージが強烈にありました。
現在、新しく建て替えられ、わかりやすく近代的に展示されています。
資料館へ行った日の夜、怖くて怖くて眠れず、母の膝にしがみついて何時間も泣き続けました。
その日見た兄が弟をおぶって焼け野原を歩いていた写真が、それからもう何十年も経っても鮮明に覚えてます。
毎年、そんな風に夏休みの一日を過ごしたり、その日に限らず平和教育もたくさん受けていた環境にあったんだと思います。
だんだんその日の意味と、その日を特別に思う意味も理解出来、高校1年の時は自ら進んで、被爆地関連を友達と回ったり、社会の先生と資料をまとめたりしました。
その流れで、親戚に話しを聞きたいと思い、
「おじちゃん、8月9日のこと教えて。」って思いきって尋ねたら、いつもペラペラとおしゃべりなおじちゃんが、急に暗くなって。
何も言わず、背を向けて涙を拭ってました。
その時初めて知りました。
わたしが子どもの頃、怖かった映像や写真や話や絵が、おじちゃんにとっては目の前に広がっていたのだと。
戦争なんて2度と起きて欲しくない、原爆の事1人でも多くの人に知ってもらいたい、なんて思って熱くなってるなんて、なんて思いあがったことなんだろうと。
そして被爆体験を話して下さることは、とても辛いことなんだと、その時理解できました。
ハッとして、「思い出させてごめんね、もう聞かないね。」と、それっきり。
それから、わたしは何にも出来てはないけど、その頃の記憶は一つ一つ鮮明に覚えてます。
自分が知ってる事は、せめて自分の子供には伝えたいと、去年は翔ちゃんが訪れてくれた原爆資料館に子供達を連れていき、夏休みの自由研究を一緒にまとめました。
娘もとても興味を持ってくれて、そして担任の先生も社会の授業で使いたいと、原爆の事を取り上げて下さいました。
大きなことはできないですが、こんな小さな1つでも十分ではないのかと。
ecoだって、選挙だって。
1人じゃ何も出来ない、こんな小さな力では役に立たない、なんて思っていても、その小さな1つで十分なんではないかと。
翔ちゃんがキャスターであってくれたおかげで、その1つになれるんだな、と。
ZEROで、母校の後輩が活動をしてるのを見て、風化なんかしてないんだと感動でした。
むしろ前より大きなパワーと輪になってる事に、驚きました。
そして、翔ちゃんが行ってくれた!!
これは、本当に本当に大きな力だと。
今は嵐くんらの影響力は絶大で、嵐ファン小中高生にとっては、一国の総理大臣や大統領の言葉より影響あるんですもん。
いや、若い方にも、私のようなおばさんにも。
嵐くんらが関心を持った事に一緒になって関心を持ちたいって思う人がたくさんいる事。
だって嵐ファンは選挙にも関心持っちゃうし。投票率にも貢献してますもんね~。
翔ちゃんすごいです。
若い女の子が、翔ちゃんが行ったからって、原爆資料館にたくさん足を運んでくれるといいなあと願います。
15日は、ハリウッドスター二宮さんの「硫黄島からの手紙」がオンエアされるそうで。
これも私は娘と観に行きました。
小さい頃(ある程度理解がある学年)にみた映像は、一生忘れないと思うからです。
一年に一日ぐらいは、キラキラ輝く5人さんではないけど、歴史や世界平和について子供たちと考える日にしたいです。
いっぱいここに残したいことがあっても、夏休み&いつもと変わらない仕事量。
おまけに旦那さんまで夏休みと来た。調子狂います(;一_一)
今年は、里帰りも、わたしの夏休みも先送りにしちゃったので、家の中がごった返してます。
5×10で涙、雑誌を読んでは涙、すごろく、嵐ちゃん見ては泣き笑い。
遅れてはいますが、なんとか追っかけられてはいるのでしょうか!?
そして、これだけはどうしても残しておきたいので。
楽しい話ではありませんが、明日は終戦記念日。今夜は少し考えてみたいです。
翔ちゃんに涙。
8月9日、長崎に行ってくれて、本当に本当にありがとう。
11時02分、我が家も家族全員、長崎の映像をテレビで見ながら黙祷しました。
長崎出身の私は小学生の時、8月9日が大嫌いでした。
小中学校は、その日は登校日。
全国みんなそうだと思ってました。
大人になっていろんな都道府県の人と知り合ってから知ったのですが、広島(8月6日)長崎(8月9日)近郊の県だけで、全国的な登校日ではなかったらしいですね。
その日は、必ず、被爆記録や原爆関連の映画を見せられ、時には被爆者の方のお話しを聞く日と決まってました。
小学生の頃は、とにかくそれが怖くて怖くて。
祖父の家に遊びに行くのと重なると、登校日、学校を休ませてもらえるので、今年は怖い映画観なくて済む、なんてホッとしてても、8月9日は祖父も祖母も叔父も叔母も両親も、みんな言葉少なく、昨日とは全然違う悲しい顔で過ごしてるし、低学年の頃は8月9日が大嫌いでした。
小学5年の時、初めて原爆資料館へ行きました。
その当時は、まだ改築されてない建物で、暗いイメージが強烈にありました。
現在、新しく建て替えられ、わかりやすく近代的に展示されています。
資料館へ行った日の夜、怖くて怖くて眠れず、母の膝にしがみついて何時間も泣き続けました。
その日見た兄が弟をおぶって焼け野原を歩いていた写真が、それからもう何十年も経っても鮮明に覚えてます。
毎年、そんな風に夏休みの一日を過ごしたり、その日に限らず平和教育もたくさん受けていた環境にあったんだと思います。
だんだんその日の意味と、その日を特別に思う意味も理解出来、高校1年の時は自ら進んで、被爆地関連を友達と回ったり、社会の先生と資料をまとめたりしました。
その流れで、親戚に話しを聞きたいと思い、
「おじちゃん、8月9日のこと教えて。」って思いきって尋ねたら、いつもペラペラとおしゃべりなおじちゃんが、急に暗くなって。
何も言わず、背を向けて涙を拭ってました。
その時初めて知りました。
わたしが子どもの頃、怖かった映像や写真や話や絵が、おじちゃんにとっては目の前に広がっていたのだと。
戦争なんて2度と起きて欲しくない、原爆の事1人でも多くの人に知ってもらいたい、なんて思って熱くなってるなんて、なんて思いあがったことなんだろうと。
そして被爆体験を話して下さることは、とても辛いことなんだと、その時理解できました。
ハッとして、「思い出させてごめんね、もう聞かないね。」と、それっきり。
それから、わたしは何にも出来てはないけど、その頃の記憶は一つ一つ鮮明に覚えてます。
自分が知ってる事は、せめて自分の子供には伝えたいと、去年は翔ちゃんが訪れてくれた原爆資料館に子供達を連れていき、夏休みの自由研究を一緒にまとめました。
娘もとても興味を持ってくれて、そして担任の先生も社会の授業で使いたいと、原爆の事を取り上げて下さいました。
大きなことはできないですが、こんな小さな1つでも十分ではないのかと。
ecoだって、選挙だって。
1人じゃ何も出来ない、こんな小さな力では役に立たない、なんて思っていても、その小さな1つで十分なんではないかと。
翔ちゃんがキャスターであってくれたおかげで、その1つになれるんだな、と。
ZEROで、母校の後輩が活動をしてるのを見て、風化なんかしてないんだと感動でした。
むしろ前より大きなパワーと輪になってる事に、驚きました。
そして、翔ちゃんが行ってくれた!!
これは、本当に本当に大きな力だと。
今は嵐くんらの影響力は絶大で、嵐ファン小中高生にとっては、一国の総理大臣や大統領の言葉より影響あるんですもん。
いや、若い方にも、私のようなおばさんにも。
嵐くんらが関心を持った事に一緒になって関心を持ちたいって思う人がたくさんいる事。
だって嵐ファンは選挙にも関心持っちゃうし。投票率にも貢献してますもんね~。
翔ちゃんすごいです。
若い女の子が、翔ちゃんが行ったからって、原爆資料館にたくさん足を運んでくれるといいなあと願います。
15日は、ハリウッドスター二宮さんの「硫黄島からの手紙」がオンエアされるそうで。
これも私は娘と観に行きました。
小さい頃(ある程度理解がある学年)にみた映像は、一生忘れないと思うからです。
一年に一日ぐらいは、キラキラ輝く5人さんではないけど、歴史や世界平和について子供たちと考える日にしたいです。
by arashic-ageha
| 2009-08-15 01:07
| わたしごと